WebのLog.

愛に燃えるブロガーになる。

若い世代のパターナリズムーーコロナ、高齢者、戦争

最近、youtube動画巡りしていて思うこと。

 

コロナで犠牲になる方で多いのは高齢者だという事実があるが、その高齢者をほんとにコロナを理由に閉じ込めていいのだろうか。

そしてコロナにかかるのがいやな人がどれだけいるのだろうか。

もちろん、コロナにかかることが嫌な方がいるとは思うが、そうじゃない人も多いとは思う。エビデンスはない。

特に、戦争当時を経験している方は人々に語りたい方が多いのではないだろうか。

 

 

 

 

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養老孟司先生、生放送!虫取り探検隊・焚き火トークショー in 芸北ぞうさんカフェ

 

 

こうやって例があることが大事で、統計じゃないんだよな。

統計をとると年齢によって%による比率が出て、世代間のコロナ意識グラフが出るが、でもそれだけでいいのだろうか。

戦争経験者がこうやってマスクをしていない(しない)事実が大事で、特にこうやって

対話をしている方々がいることが大事で、ぼくなんかはコロナによって高齢者を閉じ込めるんじゃなくて、いろいろと語りを残しておいて欲しいですよね。

もちろん、こういったコミュニケーションよりも、コロナにかかりたくことに重きを置く方もいるとは思うが、それは対話によって、それぞれが考えて欲しいですよね。

 

何よりもぼくはこのコロナ禍による、一律が嫌なんですよね。

 

ということで、貴重な意見をいまのうちに観ておこう!

 

 

愛とは対話であり、本人の意思なのである。

コロナワクチンって?

こんな性急に開発したワクチンをしたいと思う人がどれくらいいるのだろうか。

少なくともぼくは人工のワクチンと自然のコロナを比較した場合、

後者の方がこわくはないですよね。

 

ワクチンをなんかの証明に使ったりする場合、人体実験になりそうだな。

 

あーこわ。

 

(追記)

ワクチンについてたくさん知見が出ているようですね。

ぼくはワクチンによる犠牲者を確認していることがすごく人間のいやらしいところが出ていて(じぶん自身に対して)いやなのだよな。

もちろん、医療による薬やワクチンは犠牲による知見が溜まってきて、今に至っているのは重々承知なのだが、こう言うのを明るみに出てしまう以上、なかなかワクチンも出来ないよな。。。わしはアレルギーも持っているしね。

 

コロナによる犠牲者を減らすのならワクチンによる犠牲者も減らさなきゃいけないのは論理的にはこうなるだろうけど、前者はダメで後者は良いのは何由来なんだろうな。

ぼくはこれまで医療と「人体実験」について考えてこなかったが、しばらくの課題となりそうだな。

 

 

 

 

愛とは針から逃げること。

今年はコロナ禍か!

コロナ禍について思う。

誰にも正解なんて持っていなくて、どこもかしこも「苦しいんだ」ばかりですよね。

もちろん、その苦しみを解決できればよいが、正解がない以上、どこかにその声をぶつけるしかないんですよね。そしてどこかが解決すれば、どこかに負担が増える。

そう、これまでの人間の活動そのものじゃないか!。。。

死ぬくらいだったら生活保護の制度を活用PRするしかないが、死ぬ理由がお金だけじゃなさそうだし、人不足だって、これまで散々問題としてきたが、そんな1年2年でそう簡単に増やせないだろうし、どうしたらいいでしょうかね。

ぼくは一点解決する道があると思うんですよね。

それは去年からコロナが蔓延していたとしたら、その時期はどうだったのか想像してみること。

誰もコロナ禍では問題にしていなかったよね?

 

愛とは、想像か!

初、映画感想文

そう言えばこの前『断食芸人』という全共闘世代が撮った映画を観たのでごわす。

なんで、団塊世代はこうもじぶん達の失敗を否定するか、肯定するしかできないんでしょうかねえ。ぼくは、団塊世代のやってきたことには意義があったとは思うが、何を受け継いで何を批判するのか、そう言った議論がしたいんですよね。ネタバレになるから言わないが、そんな結論じゃ、学びはないんですぜ。

 

ちょっとネット検索してみたが、この監督は団塊世代よりも少し上の年代のようですよね。まあ、それでも全共闘に肩入れしていたのは間違いないようだし、、、

当事者が語ることの功罪

日々つらつら考えていることを書いて行くことにしたよ。もちろん、飽きたらまた止まるだろうけど、、

そして当事者が語ることの功罪なんだけど、

功に関しては、当事者と触れたこともない人にとっては貴重な意見とはなるでしょう。

ただし、今年をみていたらそうも言っていられなくなっているんですよね。

例えば、大学の先生(あくまでも例ですよ)は、任命のことについては一生懸命「当事者」として語るが、声をあげられない「弱者」(=大学に届かない層)に関しては何も言えないんだなとは思いましたよね。

じぶんのことに関しては声をあげて、犠牲者が「増えるであろう」人々に関しては声をあげない、ここに当事者の意見というものの限界を感じちゃったんですよね。

まあぼくみたいななんの影響力もないしtwitterを辞めてここにもっと影響力のないブログでボソボソと語るしか能がない人間なのですがね。まあ、ストレス発散ですよね。これを言うことでなんになるのかと言ったら何にもなんないでしょうね。

 

愛とは隠れて更新していくこと。

びっくりするくらい、繰り返している

なんか年間の周期性って、ありそうだよな。

1月頃になったら落ち着いているだろうな。

 

なんか、もうどれだけ情報を一生懸命煽っても人々には響かなくなっているんだろうな。だって、これまで崩壊崩壊って言って崩壊しなかったし、3回目だしね。

 

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(お見苦しいのが映っていた模様。。。酔っぱらっているときにはブログ更新するもんじゃないね。。。)

 

これだけ自殺者が増えてきてしまっている昨今で、さすがに緊急事態宣言を出せとは言いににくくなっているんだろうな。うまく表現を濁しているのは見かけるけどね。


日々の雑感でした。

 

予言って、愛

Amazonアソシエイトを登録してみた。

このベストセラー本を買ってくれることを願っていません。

 

 

 

 

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