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科学の希望は地球外生命

これから書くことは現在起きていることとは一切関係がなく、あくまでもこのブログの主旨である「残す」という観点から述べていくという前提は先に言っておこう。

その前に、コロナは減少しなかったね。それでも指数関数的には伸びていないようだし、誰も人間の行動(=自然)については予測ができないし、制御できないんだろうな。それを「後付け」で様々な理論ができているんだろうなと思う。

そう、これこそが科学の詭弁であり、大罪なのである。

そこで今回は2冊の本を紹介しておこうと思い立った。(何事も初心に帰るの大事よね。)

 

まずは『ルポ 人は科学が苦手 アメリカ「科学不信」の現場から』を紹介しておこう。内容としては、どうしてアメリカが科学という軸で分断しているのかなのだが、ぼく個人としては政治や信仰の観点から分断を述べている点が興味深かったな。それ以上にその現象がなんで起きるのかを考えると、やっぱりじぶんの「第一印象」からの「訂正」って余程のことがない限り難しいだろうなと思いますね。ここに記載してある政治や信仰っていうのは「例」でしかなく、誰にでも起こりうることなんでしょうね。とにかくヒトが「分断」を起こすんですよね。ウイルスの「恐怖」や「不安」に関してもね。

ただね、科学者も市民に語りかける活動も始めているようだし、分断解消の一縷の希望は芽生え始めてはいるようですね。

そこでこの著書内のコラムに記載してあるSETIというアメリカの地球外生命を調査している団体について興味が惹かれましたよね。急に関係がない文章を述べているが、これはあくまでもフラグである。もう一度言う、フラグである。

twitter.com

 

 

 

次に紹介するのは、科学でも失敗の歴史を追ったエッセイ集。タイトルが『禍いの科学』となっているが、七つの大罪としての七つのエッセイと、パンドラの箱をモチーフに科学の希望はなんだと言うのがこちらの著書の主旨だろうね。医療関係者が書いているのだが、七つのエッセイを読んで、こんなにもヒトは愚かなのかと思わざるをえないですよね。もちろん、科学を「信仰」しているからこそ起きるのだが、こうやって科学の愚かさを歴史から追ったところでヒトは変わりそうにありませんよね。歴史を学ぶってなんなのだろうか。歴史の教訓から学ぶことは果たして希望は芽生えるのだろうか。ほんとにヒトは進歩するのだろうか。そこから人間になるにはどうしたらいいのだろうか。平時ではいくらでも人間は言葉に関してどれだけでも素晴らしさは述べられたとしても、有事ではどれだけこういった知見から学ぶことができるというのだろうか。正直、ぼくにはわかりませんよね。ただし、科学の罪を追うのがメインとはなっているが、そこでバランスをとろうとしたのだろうか、過剰な自然主義に対しても警報をしているエッセイもある。そんなところかな。

 

 

最後にこちらを紹介しておこう。

最近『地球外生物の世界』をNetflixでみたが、人間のこの地球での生活による想像力をあえて超えないようにしているだろうね。こうやって現実逃避をしているのが一番よいよね。と言うことで、前二つの著書とは関係ないだろうというツッコミがあるが、以前のフラグがここにつながっているのだ!。。。

https://www.netflix.com/title/80221410

 

 

そこでもう一度言う。

科学の愛と希望は地球外生命である。