WebのLog.

愛に燃えるブロガーになる。

音楽って一体 なんなんだ・・・・・・?

ということでドラマ『ブラックジャックによろしく』で使われていた曲

 

そんなことを考えている時にある本が出版された。

 

 

 

ぼくは音楽に詳しいわけではないし、その時流行っている曲をなんとなく聴いている人間だ。ただし、ビートルズを筆頭にあの全共闘の時代にはどうして音楽が流行っていたのかについては興味ある。そんなことが分かるヒントになりそうな本だった。

みのの音楽をyoutubeで聞いてみると、みのの音楽にはUKロックから懐かしの歌謡を混ぜて現代に届けている挑戦的な音楽が多数ある。それはこの本によると、はっぴいえんどから始まる細野晴臣は昭和50年から53年にかけて「西洋人から見るステレオタイプ的なアジア表現」に挑戦をし、YMOの着想となる音楽表現に行き着くとの記載がある。だから松本隆やCharなどと対話できているのだろう。


最近、

 

の番組を見た。ここではみのに対して批判的だった、文体がない、一貫性がない、など。こう思う、通史に文体が必要あるのだろうか。文体がないことこそがこの国の邦楽通史ではないのか。ぼくは「逆説的に」この本こそ邦楽の通史を表していると思った。

だからこそこの国の音楽の歴史を語るときは、ある「ジャンルに逃げる」ことが多いのだろう。

むしろ、邦楽の通史に文体があるのなら、そんな通史も読んでみたい。

 

この本のタイトルは『にほんのうた』。これは、昔、坂本龍一が監修したアルバムのタイトルと同じだ。みのはやはりこの世代から影響を受けていそうであり、強いていうのであればここの全共闘世代感をもっと掘り下げて語ればそれこそ文体ができるのではないだろうのか。

なお、ぼくがみのが偉いと思うのは評論なのではなく、この通史にチャレンジしたことであり、新宿あたりにお店も持っていることだ。

 

だからこそ、持続的な歴史が語られ続けるのだろう。

 

音楽について答えが出ないから、愛をもって語るのみ。

 

2024/4/12 訂正&雑感を追記

細野晴臣は正確にはバンド名「エイプリル・フール」が始まりとなる。

・これからこの国から多くのアーティストが海外に発見され、注目される機会も多くなっていく中で「政治とアーティスト」の関係は考えないといけないとは思っている。

 アメリカでリベラルなアーティストといえば、マドンナであり、テイラー・スウィフトであり、ビヨンセが真っ先に思いつくだろう。逆にトランプといえばカニエ・ウェストが真っ先に思いつく。

 最近YOASOBIが自民党政治の岸田首相と民主党政権のバイデンとのパーティーに参加したことで賛否が分かれた。

 ぼくがリベラルだのトランプだのと形容したように、他国から見ると形容される恐れがこの国だって起こり得る。この国のローカルの文脈だと自民党は「国民政党」と名乗っているし、思想というよりは「当たり前の父権な存在」だろう。しかし、他国から見るとLGBTQも認められないし、たかが夫婦別姓ですら達成できない保守的な性格の政党と見られるだろう。

 BTSですら文在寅政権には取り上げられていたが、現韓国政権とは距離をとっているように思う。政治に近づくとはこういう「解釈をされる」ことが常に付きまとうのだ。

 まあぼくは政治に無頓着なアーティストは「政治」に関わるのはオリンピックなどのお祭り的なイベントに留めておくのは無難だと思う。

 もし政治に関わるのであれば、少なくともぼくはアーティスト個人の意図思想とは別に、政治思想の解釈をしていくだろう。