日々つらつら考えていることを書いて行くことにしたよ。もちろん、飽きたらまた止まるだろうけど、、
そして当事者が語ることの功罪なんだけど、
功に関しては、当事者と触れたこともない人にとっては貴重な意見とはなるでしょう。
ただし、今年をみていたらそうも言っていられなくなっているんですよね。
例えば、大学の先生(あくまでも例ですよ)は、任命のことについては一生懸命「当事者」として語るが、声をあげられない「弱者」(=大学に届かない層)に関しては何も言えないんだなとは思いましたよね。
じぶんのことに関しては声をあげて、犠牲者が「増えるであろう」人々に関しては声をあげない、ここに当事者の意見というものの限界を感じちゃったんですよね。
まあぼくみたいななんの影響力もないしtwitterを辞めてここにもっと影響力のないブログでボソボソと語るしか能がない人間なのですがね。まあ、ストレス発散ですよね。これを言うことでなんになるのかと言ったら何にもなんないでしょうね。
愛とは隠れて更新していくこと。